「五十歩百歩」って、なんとなく聞いたことはあるけれど、いざ自分で使おうとすると少し迷ってしまいますよね。
似たような意味の言葉はいろいろあるし、「それって上から目線に聞こえないかな…」とためらってしまう場面もあるかもしれません。
でもこの言葉、本当はもっと静かで、やさしい役割を持っています。
ちょっとした優劣にこだわりすぎてしまうとき。
人と比べて疲れてしまったとき。
そんなときに、ふと心をゆるめてくれるような一言として、「五十歩百歩」はそっと寄り添ってくれることもあるのです。
この記事では、五十歩百歩の意味や由来、自然な使い方や例文、注意したい使いどころまでを、やさしくひもといていきます。
五十歩百歩の意味は?本質に違いはないというたとえ
「五十歩百歩」とは、わずかな違いはあっても、根本的には同じようなものだという意味のことわざです。
たとえば、テストで45点とった人が、40点の人に向かって「俺の方がマシだ」と言ったとしても、
合格点が70点だとすれば、「いや、それって五十歩百歩じゃない?」とツッコミたくなる気持ち、なんとなくわかりますよね。
この言葉には、「優劣をつけたがるけれど、実はそこまで変わらないのでは?」という冷静な視点が込められています。
細かな差にばかり目が向いてしまうときに、少し視野を広げてくれるような、そんな一言でもあるのです。
五十歩百歩の由来は?古代中国の故事からひも解く
この言葉の語源は、中国の古典『孟子(もうし)』に出てくる故事にあります。
ある戦争で敗走した兵士たちがいました。
その中の一人が「自分は100歩逃げたけど、あいつは50歩しか逃げなかった。自分の方がマシだ」と言ったとき、
孟子は「50歩も100歩も、逃げたことに変わりはない」とたしなめたという逸話がもとになっています。
つまり、「逃げた距離が多少違っても、逃げたという事実には変わりがない」――。
この視点こそが、「五十歩百歩」という言葉に込められた本質なのです。
五十歩百歩はどう使う?実際の会話例でチェック
意味や由来を知っただけでは、「じゃあ実際にどんなときに使えばいいの?」と戸惑うかもしれません。
ここでは、日常会話で使える自然な例文をいくつか紹介します。
日常会話での使い方
- A「昨日、寝坊して30分遅刻しちゃった…」
B「私も25分だったよ。まあ、五十歩百歩だね」
多少の差はあるけれど、どちらも遅刻であることには変わりない、という意味。
- 「あの人も私もSNSばっかり見てたから、五十歩百歩だと思うよ」
自分も相手も同じようなことをしていた、と軽く笑いながら使える表現。
職場や学校での例文
- 「書類の提出が1日遅れた人と、2日遅れた人を比べても…五十歩百歩だよね」
「ミスを比較しても意味がない」という冷静な判断として。
- 「お互いに文句ばかり言ってるけど、それじゃ五十歩百歩だよ」
相手の欠点ばかり責める前に、自分も省みるべきというニュアンス。
小学生にも伝わる五十歩百歩のやさしい短文例文
「五十歩百歩」は、小学生の作文でもよく登場することわざのひとつです。
ここでは、簡単な言葉でわかりやすくまとめた短文例文をいくつか紹介します。
- テストの点をくらべたけど、70点と68点じゃ五十歩百歩だった。
- 兄とけんかしたけど、どっちもゆずらなかったから五十歩百歩だと思う。
- 私も朝おきられなかったし、弟もだった。だから五十歩百歩かなと思った。
身近なできごとを題材に、「どちらにも言い分がある」「そんなに変わらない」と気づいたときに使える表現です。
作文の中で使うときも、背景を少し説明してあげるとより自然になります。
思わず笑える五十歩百歩の面白い使い方
ことわざには真面目なイメージがあるかもしれませんが、「五十歩百歩」はちょっとしたユーモアを交えて使うこともできます。
- 夏休みに宿題をギリギリで終わらせた私と、当日の朝に泣きながらやってた弟。正直、五十歩百歩だった。
- 3日連続でカレーを食べた私と、3日連続でラーメンの友だち。栄養バランス的には五十歩百歩かも…。
こうした少し笑える例を交えて紹介すると、ことわざに対する親しみもぐっと深まります。
学校の授業や、家庭での会話でも自然に使える形ですね。
なぜ人は少しの差にこだわるのか?
五十歩百歩という言葉の背景には、私たちの心理にも深く関わる部分があります。
たとえば、自分が相手より少しでも上だと感じると、安心したり、優越感を得たりすることはないでしょうか。
そうした気持ちは承認欲求と呼ばれるもので、多くの人にとって自然な感情でもあります。
ただ、その小さな差にとらわれすぎると、本来見るべき全体像や本質が見えにくくなってしまうこともあります。
だからこそ、五十歩百歩という言葉は、少し立ち止まって視点を変えるヒントにもなるのです。
作文にも使える!五十歩百歩の長文例文
小学生や中学生の作文課題で「ことわざを使って書いてみましょう」と言われたとき、短い文では伝わりづらいと感じることもあるかもしれません。
そんなときに役立つ、五十歩百歩を使った長文の例を2つ紹介します。
例文①:友だちとのけんか
ある日、友だちと給食のことで言い合いになりました。
「おかわりの順番が違う」とお互いに主張して、どちらもゆずらず、けっきょく口をきかなくなってしまいました。
でも、先生に話を聞いてもらっているうちに、どちらも自分のことしか考えていなかったと気づきました。
あとから思えば、私も友だちも、似たようなことをしていたのです。
そのとき、「五十歩百歩ってこういうときに使うんだな」と思いました。
例文②:家族のやりとりから学んだこと
ある夜、父と母が夕食の片づけでちょっとした口げんかをしていました。
「昨日は自分が洗った」「今日は疲れている」と、おたがいに言い分があるようでした。
私はそれを見て、どっちがやるかで争っても、じつは同じように家事をがんばっているんだなと感じました。
そう思ったとき、頭に浮かんだのが五十歩百歩という言葉でした。
少しの違いにこだわるより、おたがいの努力を認めあうことの方が大事なのかもしれません。
こうした作文では、「なぜその言葉を使おうと思ったのか」「どうしてその状況にぴったりだと感じたのか」を、自分の言葉で丁寧に書くと、読み手にも伝わりやすくなります。
五十歩百歩を使うときの注意点とは?
「五十歩百歩」は便利なことわざですが、使い方を誤ると、相手を不快にさせてしまうこともあるため注意が必要です。
ここでは、気をつけておきたいポイントを紹介します。
- 努力や結果に明らかな差がある場合に、むやみに五十歩百歩とまとめてしまうと、相手を傷つける可能性があります。
たとえば、10回も練習した人と、1回しかやらなかった人を同列にするような場面では注意が必要です。 - 相手の主張を軽くあしらうように使うと、皮肉に聞こえることもあります。
とくに文章では、丁寧な前置きや補足を添えることで誤解を防げることがあります。 - 自分を正当化するためだけに「五十歩百歩」と使うと、かえって信頼を損ねる場合も。
このことわざは、あくまで“客観的な視点”から使うことで、意味が活きてくる表現です。
似た意味のことわざとどう違う?五十歩百歩との比較
ことわざには、似たような意味を持つ表現がいくつかあります。
五十歩百歩との違いを整理してみましょう。
どんぐりの背比べ
みんなが同じくらいで、大差ないことを示すときに使います。
ただし、「どれも平凡」といった少し否定的なニュアンスを含む場合も。
目くそ鼻くそを笑う
自分も同じような欠点を持っているのに、他人をバカにすること。
表現としてはやや強めで、使う場面には注意が必要です。
同じ穴のむじな
一見違って見えても、じつは同類であるという意味。
立場や性質が似ていることを表すときに使われます。
これらに対して五十歩百歩は、差があるように見えても、本質的には変わらないという冷静な視点が軸になっています。
皮肉や攻撃よりも、少し引いた目線で「まあまあ似たようなものだね」と受け流すような、柔らかさが特徴です。
違いにとらわれすぎないための、もうひとつの視点
この言葉が持つ魅力は、単に同じようなものと言い切るだけではありません。
私たちはつい、他人との小さな違いに目を向けてしまいがちです。
「こっちのほうが少しマシ」とか、「あの人より私は…」という気持ちが芽生えると、それだけで安心できたり、逆に落ち込んだり。
でも、「五十歩百歩だよね」と自分に言ってみると、その小さな差にこだわっていたこと自体が、少しどうでもよく感じられることもあります。
それは、相手を責めるでもなく、自分を卑下するでもなく、ちょっとだけ肩の力を抜く感覚です。
他人との違いを見つけることに疲れたとき、あるいは自分を正当化したくなったとき――。
五十歩百歩という言葉は、もう少し大きな視野で物事を見るきっかけをくれるのかもしれません。
まとめ
「五十歩百歩」ということわざは、わずかな違いに目を奪われすぎず、物事の本質を冷静に見つめる大切さを教えてくれます。
何かと比較される日常のなかで、「自分の方がマシ」「あの人より下かも」と気持ちが揺れることは、誰にでもあることです。
でも、そういうときこそ、似たようなものかもしれないと少し視点を変えてみることで、見える景色がやわらかくなることもあります。
もし、今日の会話や出来事のなかで、少しでも五十歩百歩だなと思う瞬間があったら、
その感覚を大切にしてみてください。
違いよりも共通点に気づいたとき、人との関係や自分へのまなざしも、少しやさしくなれるかもしれませんね。
コメント